「神はあらゆる瞬間に無数の新しい天使を創造しており、彼らは全員、無の中に溶け消える前に神の賛歌をその玉座の前で一瞬歌うことをただ定められている、とカバラは伝える。」(ヴァルター・ベンヤミン)
「私たちアダムの末裔は、かつて彼と共に天使たちの音楽を聴いた。今となっては、はるか昔の遠い記憶もほころび破けているものの、それでも耳の奥底に残っている、地上の何ものとも無縁の残響が。」(ジャラール・ウッディーン・ルーミー『精神的マスナヴィー』4-733 西田今日子訳)
ジョルジョ・アガンベンはバートルビー論のなかで、あるペルシアの新プラトン主義者の「大天使ガブリエルの闇の翼」を紹介している。それによるとガブリエル(ジブリール)には二つの翼があり、右の翼は純然たる光であり、左の翼には暗い痕がついているという。右の翼が「存在することができる」という現勢力に関わるなら、左の翼は「存在しないことができる」という潜勢力に関わっており、「この翼が羽ばたくごとに、現実の世界は存在しない権利へと導かれ、可能世界は存在する権利へと導かれる」という。(ジョルジョ・アガンベン『バートルビー偶然性について』p85高桑和巳訳)
伝承によるとジブリールは毎日、光の大海に360回入り、前に進むとそれぞれの翼からしずくが落ち、神をを讃える天使となると言われる。ジブリールの翼の運動は二重に引き裂かれており、それは<一>と<多>すなわち<ひかりの大海 ー 神>という潜勢力そのものと、<無数の光滴ー天使>という創造の間をつなぐ翼である。そしてそのあいだの飛翔こそが翼の羽音であり、ひかりの大海に没するとき、光は光学的なもの(フォルム)から音響的なもの(アンフォルム)へと、すなわち<羽音-歌>へと脱創造される。そして大海から出ずるとき、ひかりは音響的なものから光学的なものへと再び結像する。
スーフィズムにおいてしばし、あらゆる存在はひかりの大海の波ようなものとして捉えられる。何かをまなざす時、すでにひとは自己を超え出て<一なるひかり>に巻き込まれている。現象する光のより深いところに潜って世界を新たに捉えなおすならば、世界とは明滅する一瞬一瞬の「聖なるものの瞬き」である。あらゆる間を縫ってひかりは飛翔し貫流する。まさに天使の速度で。それはひかりの震えの知覚、すなわちジブリールの羽音に耳を澄ますことである。そうした時、もはやわたしたちの眼は光を見るためではなく、ひかりのひびきを奏でるためにある。すべてまなざすことが祈りであるように。
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